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大日本除蟲菊株式会社
Dainihon Jochugiku Company, Limited
大日本除虫菊本社ビルである
金鳥土佐堀ビル(大阪市西区土佐堀一丁目)
種類株式会社
市場情報非上場
略称金鳥(KINCHO)
本社所在地 日本
〒550-0001
大阪府大阪市西区土佐堀一丁目4番11号
設立1919年(大正8年)4月21日
(創業は1885年(明治18年)1月8日)
業種化学
法人番号7120001044993
大日本除虫菊株式会社(だいにほんじょちゅうぎく、登記上の商号:大日本除蟲菊株式会社)は、大阪府大阪市西区土佐堀に本社を置く、殺虫剤など衛生薬品の製造・販売をおこなう日本の日用品メーカーである。 「金鳥」「KINCHO」(きんちょう)の商標名で知られる。正式な社名より商標が浸透している状態であるが、創業のきっかけを忘れないため、「大日本除虫菊」の社名は堅持している。また、2020年現在でも東京証券取引所を含め、国内外の株式市場に上場していない。みどり会の会員企業であり三和グループに属している[3]。 企業スローガンは、「昔も今も、品質一番の金鳥」。 アース製薬、フマキラーと並んで、家庭用殺虫剤では日本の主要シェアを誇る。金鳥蚊取り線香は、東南アジアでも市場占有率は高く、ほぼ日本と変わらぬ包装で市販されている。自社の製品で多くの害虫を殺虫している事から、毎年1月に、加盟している業界団体の「日本家庭用殺虫剤工業会」で虫供養を実施している[4]。 1885年(明治18年)、和歌山県有田郡の蜜柑農家の四男であった創業者の上山英一郎が、福沢諭吉の紹介で、アメリカの植物会社社長H・E・アモアと出会う。アモアから殺虫効果のある除虫菊の種苗を手渡された上山は、除虫菊の栽培農家を求めて各地を行脚する。そしてまず、乾燥させた除虫菊の粉末からノミ取り粉の製品化に成功する。その後、農家から蚊に効く除虫剤の製造を依頼された上山は、澱粉に除虫菊を混ぜた線香(蚊取線香)「金鳥香」の製造を開始する。最初は棒状であったが、燃えている時間が短い、細いため効果を上げるには何本も焚かなければならない、といった短所があった。 1895年(明治28年)上山英一郎の妻ゆきが、蚊取り線香を渦巻型に改良する着想を得る。改良の着想を得てから7年の歳月を費やし、1902年(明治35年)、現代にも続く「渦巻型蚊取り線香」を発売[5][6]。これが評判となり、1905年(明治38年)には日本除蟲菊貿易合資會社を設立し、海外にも蚊取り線香の販売を開始する。1934年(昭和9年)には今日まで発売されている液体噴霧殺虫剤「キンチョール」(キンチョー+オイルの造語)を発売。本格的な虫駆除を目的とした殺虫剤、日用品製造企業としての知名度を築き上げた[7]。 なお1960年代から、除虫菊の殺虫成分であるピレトリンは使われておらず、住友化学が開発した合成ピレスロイドの「アレスリン」を使用している。 1910年(明治43年)に商標登録された「金鳥」は、同社発売の蚊取り線香の「金鳥香」に由来している。シンボルマークにはニワトリが描かれており、これは「鶏口となるも牛後となるなかれ」という故事成語から採られている。上山英一郎は、この一節を信条としており、業界の先駆者として「鶏口」になり、品質をはじめ、あらゆる面で他より優れたトップの存在でありたいという願いが込められている。また、シンボルマークのニワトリの胸の辺りには「上山」の判子を模したロゴが入っている[8]。
概要
除虫菊と渦巻型蚊取り線香
金鳥の由来
沿革
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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